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村西利恵
「ベトナム社会主義共和国の歴史です」
青山繁晴
「はい。えー、これはですね、ベトナムは、ベトナム人たちは4000年の歴史って言ってますから、えー、まあ日本より、日本の2倍弱ぐらいだってことになるわけですけどね」
村西利恵
「そうですね」
青山繁晴
「まあそれは、本当はベトナムって国がなかった頃の時代から、要するに民族的にはそうじゃないかって話ですけれどね。えー、この歴史について、えー、南ベトナムの有力な経済人と、それから、ほんとに貧しい、若い労働者たちが同じことを言ったんですよ。3つ言ったんですね。1つ、ベトナムは、1000年、中国と戦争してきましたと」
村西利恵
「1000年…」
青山繁晴
「これ1945年、第二次世界大戦が終わった年ですけど、その前の時代に1000年間中国と戦争をしてきて、負けなかったと。それ1つめ。で、中国を、いわば、何とか、追い出した、攻めてくるのを追い出したと思ったら、そのあと、遠いフランスからやって来て、えー、これはフランスの侵略ですね。フランスと、今度は100年戦争したと。フランスにやっと勝ったと思ったら、代わりにアメリカがやって来て、泥沼のベトナム戦争になって、アメリカと30年戦争をした。1000年、100年、30年、ずーっと戦争してて、今やっと平和な時代だってことを、もう一回言いますが、とても、ま、お腹の出ちゃった有力な経済人から、もうほんとにベトナム人風、よく見るすごくスレンダーな若い人まで、みんな共通して言うんですよ。もう一回ちょっとおさらいしますとね、1945年に日本が負けたために、ま、ベトナムは、それまでこういうように日本がいて、ま、日本が退(ひ)いていったから、逆に独立を、達成できたんですね、1945年に。ところがすぐ、その前から来てた、1847年から来てたフランスと、また激しい独立戦争になって、そして1954年に、フランスが負けを認めて、ジュネーブ協定というのを結んだ。そして北は独立できたけど、ここには書いてないけど、北緯17度線ってありまして、その時に、ま、分断されちゃったんですよ、独立と引き換えにね。そしたらアメリカが南側、ゴ・ディン・ジエムって大統領を支持して、このアメリカの軍事介入が始まって、最終的には1975年、さっき見ていただいた大統領府、南ベトナムの大統領府に、えー、南ベトナム解放民族戦線っていう、要するに北ベトナムと一緒にやってた側が、戦車で入って来て、それで戦争が終わったんですね。で、そのあと、南北、もう北側から統一する形で、ベトナム社会主義共和国に名前も変えて、しかし、中国の改革開放経済も見ながら、1986年にドイモイ、これベトナム語ですけれど、刷新っていう意味、って訳されてますが、これ正しい訳ですよね。それはご存知の方多いと思います。で、従って日本とも組めるようになったねと。だから日本から経済協力どんどんやればいいんだというのが今までの考え方だったんですが、もう一回言いますが経済人から若い労働者まで、分け隔てなく話を聞いていくと、共通して出てきた言葉は、これだったんです」
村西利恵
「現地のベトナム人によると、『公務員などの良いポストを、旧北ベトナム軍・旧南ベトナム解放民族戦線の元軍人と親族が独占している。だから、南の若者にチャンスがない』」
山本浩之
「へえー」
青山繁晴
「うん、これ実はですね、さっき言いましたとおり、ベトナム戦争終わったの1975年、ですね。僕も子供の頃です。で、いや、子供の頃じゃない、もう。えー、でもティーンエイジャーの頃ですね。…ちょっと待って下さい。ティーンエイジャーじゃない(笑)。えー、まあでも若い時代です」
山本浩之
「20代前半ぐらいですかね」
青山繁晴
「はい、はい。それで、ま、それはどうでもいいんですが、38年も経ってるから、未だにこういうことをですね、特に、あの、国家公務員のポストを、旧北ベトナムや、旧、これ、アメリカはベトコンって言ってましたけど、それ蔑称ですからやめましょうね、旧南ベトナム解放戦線の人たちが、今の、若い親族に至るまで全部独占してるってのは夢にも思わなかった。で、そもそも正直、北に行った時よりも南に行った時の方が空港の対応もあんまり良くなくて、意外だな、その、ベトナムは親日国なのにと思ったら、いきなり向こうの方から、これは経済人から、青山さん空港で嫌なことありましたでしょって言われて、どうしてですかって言ったら、いやもうあの空港の職員は全部こういう親族で、絶対クビにならない、仕事にやりがいも感じてないし、あの、何も求められてないから、もう苦情が来て困るんですよってことをおっしゃったんですね」
一同
「へえー…ふーん…」
青山繁晴
「で、これは僕、町中歩いた時にも、それを痛感したんです。たとえば、ちょっと見ていただけますか」
村西利恵
「青山さんが、現地で撮られた写真です」
青山繁晴
「これね、何でもない写真に見えるでしょ。これ(左)あの、フランスが、植民地の時代に建てた、もうフランス人の好きそうな建物なんですが、これあの、人民委員会って書いてあるんですよ。えー、このへんのパネルにですね。人民委員会、それ英語で書いてありましたけど、英語でも。しかし人民委員会って言ってるけど中身、市役所なんですよ」
村西利恵
「市役所…」
青山繁晴
「ただの市役所です。ただの市役所だから、僕ふつうに写真撮ってたら、えー、これだから、カメラそのあと向けられなくなったけど、軍人が出てきて、もうあの、すごい偉そうになってですね、撮影禁止だって言うわけですよ」
山本浩之
「ほう~」
青山繁晴
「それで、正直、ベトナムの人あんまり英語喋れないから、ノー・フォト、ノー・フォトって言ってくるから、あの、何でノー・フォトなんだと。これ市役所だろうと。ね。で、people’s committeeだし、軍事施設じゃないから、そりゃもちろん分からなくはないよと。すごく譲って考えれば。たとえば、そのテロリストが、あの、この市役所で何かやるかもしれないと。ね。しかしそんなこと言ったら世界中全部撮影禁止で、公的なもの何も撮れなくなるから、あなたの言ってることおかしいって言って、すっごいあの、怒鳴り合いになったんですけど、これは、あの、周りを見て、周りから見てたベトナム人にあとで聞いてみたら、いや、あんな、刃向かうようなのってとても恐ろしいと。それで、まず、不思議なのは、その、あの軍人が、お前の財布、財布を、見せろと言わなかったことだと」
山本浩之
「どういうことですか」
青山繁晴
「で、僕はびっくりして、それどういう意味ですかと聞いたら、これあんまり写ってないけどバイクが無茶苦茶走ってるので有名ですよ、ここね、そのバイクが始終止められてるんですが、止められると警官からですね、要するにあの、財布の中身見せろと言われると」
一同
「えー」
青山繁晴
「で、だいたい相場は罰金の半分ぐらいの賄賂」
山本浩之
「えっ」
村西利恵
「賄賂?」
山本浩之
「10万持ってたら5万? 2万持ってる人から1万?」
青山繁晴
「そう、いやいやそうじゃないんですよ。罰金、いちおう罰金はルールあるんですよ」
山本浩之
「ああ、罰金は決まってる」
青山繁晴
「で、財布の中身見て、その罰金の半分以上のお金があったら、ごそっと持って行く。それがなかったら、その、実際連れて行かれたりすると」
山本浩之
「えーー」
青山繁晴
「はい。これはもちろん、その、ベトナムの政府側にもたくさん言い分あると思いますけれど、しかし僕は北に行った時にこういう現実があって改革したいって話、正直聞いたことがなくて、これは中国ではむしろ中国共産党が、腐敗が困るって言ってるから、日本でもよく報道されるけど、この(南ベトナムの)実態って全然、日本で報道、されてないんですよね」
山本浩之
「知らないですね」
青山繁晴
「で、従ってですね、これは、このままやっていってもね、日本が経済協力しても、要はその、中国と同じことになっちゃうわけですよ。というのは今はその日本の経済協力っていうのは要するに、工場を造りましょうっていうだけでしょ。それって今ベトナムの、一般的な賃金が、中国の今のところ半分ぐらいだからですよね。しかしやがてベトナムも賃金上がっていきますよね。賃金上がっていくと、もう日本は、いわばそこでベトナムを見捨てなきゃいけなくなりますね。逆に日本側からすると、工場進出させた中小企業とか、設備投資が回収できなくてお金回収できなくて困っちゃいますよね。で、何が起きるかというと今の中国の大問題っていうのは、そういうことだけやってたから、民間の産業資本が育ってないので、世界の下請けできなくなったあとがやれないから、尖閣諸島なんかに無理に出てきて、目をそらそうとしてるわけですよ。だからこのまま行くとベトナムは、中国と同じことになっちゃう。その、中国の、今までの生き方は間違ってるって言ってるベトナムなのに、同じことの方に日本が導いてしまう。そして時間はないけどですね、ちょっと皆さんにお話ししたいのはね、昨日、近畿大学の授業を、やったんですよ。昨日の朝戻ってきまして、成田に戻ってそのまま羽田経由で、近畿大学にまっすぐ行って授業をやって、実は学生諸君の顔見たら、あの、涙吹きこぼれた。すみません。それどうしてかというとね、あの、ベトナムでは泣かないですよ。同情は絶対しちゃいけないから。しかしベトナムの労働者の無残な有様ね、働いても働いても夢がない。給料はたくさん賄賂に取られていく。その、現実の南ベトナムの顔を見て、日本の若い大学生の顔見るとね、その、何で日本だけがこんなに恵まれてて、そしてきれい事で済ませた経済協力だけして、あのベトナムの若者の困窮を、ベトナムにも意見をして、正々堂々として変えようとしないのかと。これはですね、日本は恵まれてる国だと、いう感想が学生からも出たけど、そんな考え僕は違うと思いますよ。それだとね、はっきり言うと上から目線でね、日本はね、ま、良かったね、日本はこれで良かったね、日本が良ければいいですねって話ですよ。違いますよ、それをちゃんとベトナムにも提言しなきゃいけないと思うんですよ」
山本浩之
「それ、外交でやらなきゃいけないこと…」
青山繁晴
「はい、だから、この番組で申したいのは、提言なんです。はい」
村西利恵
「日本とベトナムの連携を拡大していくための、青山さんの3つの提言です」
青山繁晴
「ええ。これ3つのって、まあ言いましたけど、ま、今、仮になんですよ、そのベトナムの主権を侵さない範囲内で、日本が自らの経験によって提言できること、あくまで。私たちアメリカと違うんで、その、爆撃して枯れ葉剤使ってベトナムに言うこと聞かすなんてことことは絶対、今後もありませんから。そうじゃなくてあくまで、パートナー、さっきの、Strategic partner、戦略的パートナーとして、問題提起、提言できることは、まず、一党独裁やめましょうと。複数政党にして、それによって民主的にしていきましょうと。そして、古い既得権益、35年前、いや、38年前の戦争、それはものすごい惨い戦争を戦った立派な勝利だけれども、そのポスト独占をやめて、人材を広く登用する、南の若者にどうぞチャンスを与えてあげて下さいということを、やっぱり提言すべきだし、それから一つ余計なことを言えば、あの町は、南のあの町は、サイゴンの時代は、あの、悪魔の都市とも言われたけども、東南アジアで最も繁栄した都市だったわけですよね。さっきマーケットの写真も、目に止まった人いるでしょうけど、マーケットは素晴らしいけどやっぱり全体的に僕はあまり活気は感じられなかった。あの、その一つの改革としてですね、まず市民投票してみませんかと。名前を戦争に勝った側がホーチミンさんていう、有名な指導者に変えたんですね。しかしホーチミンさんは、自分を偶像化することは大嫌いな人で、有名なんですよ。それがソ連と中国と違うところ。そのホーチミンさんは、1969年に死んでますから、戦争が終わる6年前に亡くなってるんで、今、喜びますか? ね。で、ソ連がロシアになった時に、レニングラードを、サンクトペテルブルクに変えて、ここはもう観光地で賑わってて、いわば、あの、ロシア復興の一つの理由になってるわけですね。で、ベトナムは体制変わってないけれども、あえて日本からたとえば、サイゴン、に戻すのはどうでしょうかっていうような問題提起をしてこそ、本来の外交ではないかなというのが、今日の問題提起なんです」
ぼやきくっくり | 「アンカー」中国と同じになるかもしれないベトナム&動き始めた衆参W選 (via syabuichi)
(via tamejirou)



